唐突に画像上げてく。
まず料理。
ある夏の夕食。
今は「卵」を極力避けてる。
私らは、食べたいと思った食材をその都度買ってるので、
…それが普通だと思うんだが、
「もう常備してないの?」という言葉を聞いたとき、
「常備」という言葉に違和感だった。
サラダの方はヴィーガン・チーズ。
「常備する」というのは、パターン行動だろう。
必要なものは日々変わるのに、
「常に」同じものを「備える」のはおかしい。
もしそういう無意識感覚で「卵」を買うのなら、
…だからこそ、多くのニワトリの命が消費されてます。
色んな野菜巻いた生春巻き。糖質ほぼなし。
ささやかな私のお子ちゃまコレクション↓
「ワンセブン」と隣の「ワンエイト」(弟)、
スカイブルーとオレンジの「ズゴッグ」は配色がイイ。
メカゴジラよか「キングギドラ」が好きだったんだけど…
前にある「百合界のカリスマ」2人は、
子供人格ではなく、20代の人格の好みですが、
「膝枕ができるので2人揃えてください」とか、
確かバンダイ広報が宣伝してたと思うので、
そーゆーゆるい感覚の日本イイ。
私の理想(女性)はやはり↓ですが、
(外国の人作)
当然のことながら、現実に不在な人物像。
人間、魂が進化すると、恋愛離れしていく。
「恋愛妄想ドラマ」に気づき、
「男性性と女性性は自分で統合するしかない」って悟り、
「無力感」に基づく「他者依存」から、
自分自身を成長させようとする「自力」へシフトする。
未熟な人ほど恋愛に依存すると言うが、
私の中の恋愛したがってた人格「ダザイ」は、
私の人格の中でも一番未熟で幼い。
「スピリチュアル」で金稼ぐ人でさえ、
「恋愛を絡めると集客できる」と言ってたのでね。
それ、「スピリチュアルじゃないでしょ」って思うけど。
「スピリチュアルを利用した商売」であって。本末転倒。
付き合えば付き合うほど、
相手の嫌な面を見て、自分の闇も出る。
大好き!とか全然言えなくなる。
いつまでも「私、旦那大好きなんです!」って人は、
深く関わらず、ポジ面しか見てないんだろーな。
分裂しまくってる自分や相手を受け入れ、
共に進化しようと関わるのは、
相当な「忍耐」であり、それこそ「愛」ですよ。
だからスピの「リンデンバウム」でも、
「二次元キャラで十分」と言ってる。
妄想は妄想で楽しみましょう。
まだお目にかかってないが、
こういう食玩もあるらしい↓
キラキラ☆プリキュアアラモード「あきゆか」
Mは映画に行って、子供と一緒にペンライト振る気満々なんだけど…
低年齢層向けアニメだってのに、
やはりバンダイ商品開発担当ブログでは、
「2人揃えてぜひ飾ってください」
欧米は、日本人よか良くも悪くも「父性的」。
原理主義者とか保守とかレイシストとか、
本気で潰しにかかってくるし、
そこで私はゲイだ!と強く主張するハメになるから、
海外での、何かのイベントでは↓
差別撤廃イベントみたいなもんでしょうか。
「百合界のカリスマ」のコスプレ…
ジャパニメーションの浸透率は高い。
イスラム教国でも↓
女性が頭から被んなきゃない「ヒジャブ」を逆利用し、
イスラム女子がコスプレ。
ウチの猫と似てるな。
ムスリムが一番多いのは、実はインドネシアらしく、
中東ではなくて東南アジアだが。
ナシゴレン好き。アジア料理は好き。
PUNKSも頑張ってる地域ですからね。
さすがミレニアム世代。
ユーモアのないところに悪が栄える。
漫画は今、ほとんど読まないんだけど、
Mが最近借りて来た映画「リトル・フォレスト」↓観た。
「夏・秋編」
岩手県の農村を舞台にした、時給自足生活ストーリー。
アフタヌーンに連載されてた五十嵐大介の漫画が原作だった。
レシピがサレオツな田舎料理が魅力。
原作者のレシピなんだけど、
映画ではやはり専門チームが監修に当たってた。
※料理家率いる原宿のレストラン「eatrip」チーム。
原作の料理を再現してる読者も多いようだ。
ベルリン国際映画祭キュリナリー・シネマ部門等にも出品された。
料理が都会的で細やかだから、
原作者が男性ってのも驚き(ステレオタイプ的偏見)。
まあ健康的に糖質だグルテンだと個人的にはあるが、
ロハスで美味しそう。
自然も綺麗だ。
作者の体験が基になってるっていうから、
私と同じよーに田舎で育ったのかと思ったけど、
若干感覚が違っていて、よく調べたら、
原作者は美大を卒業後、漫画家となり、
「Iターンして2年ほど時給自足生活してた」ってので納得。
料理や田舎暮らしを観察する感性は「大人」のものだ。
で、さすが美大出、芸術的で繊細で鋭い。
子供時代に田舎で暮らしてたら、
いくら感受性鋭くても、
こういう感じ方はしないだろうな、と。
私は作者の大人な洗練された感性と違い、
子供の単純な感性で、そのような生活を体験していたから、
もっとおおらかで明るく、シンプル思考だった。
シンプル。「バットにボールが当たった瞬間が撮りたい!」と、
結局こんなチャチい写真に…
シュタイナーが9歳までは、
戦いの星「火星」の音であるC=ドと、
恋愛の星「金星」の音であるF=ファは、
幼い子供にはまだ早いので、
「5音音階(ペンタトニック)」の音楽を聴かせるように、
(9歳までの子供は、5度音程の雰囲気の中で生きている)
と言ってたけど、子供には不必要なものがある。
今の子供は情報が多く、
小さいうちから大人の世界をのぞいてしまう。
子供の成長にはよろしくない。
「ドラマ」なんかもその典型。
子供として自由に体験すべきことが阻害される。
自由な感性を獲得できない。
それが無気力や、情熱の欠如にもつながってると思う。
「早熟」というのは、早く老ける、ということであり、
「魂的に成長する」という意味ではない。
大人の分裂した自我のカオスな世界に毒され、
「未熟なまま老ける」ということだと思う。
私は、お年寄りと自然と動物の中で、
色気付いた情報もなく、被害者意識ドラマもなく、
単純頭で無邪気だったんですよ。
マクロビとかでは、現代の動物性食品過多で(だったかな)
生まれてくる時点で赤子が老けてる、と言われるけど、
シュタイナー的に言えば、アーリマンの力が働き過ぎ。
「冬・春編」
自分のルーツ書いてて、あらためて思ったけど、
私は、土台がマクロビ的な地域に根付いた田舎料理。
よく、自然食に目覚めた人が、
「初めて食べた無農薬野菜の美味しさに感動した!」
ってのは定番だけど、私は逆。
祖母の家を離れたら、「ゲロマズ」!!
世の中で売られてる食材全て、
野菜も調味料も、外食も給食も全て、
クッソマズ!!!!!!!!!!!!!
その衝撃で、私は、
「全てスーパーでそろえた食材のご飯」が食べられなくなり、
思春期から20代は菓子の暴飲暴食に走り、激太りに苦しみ。
腸内環境、一気に悪化。小3〜中3まで便秘にも苦しんだ。
だって天然発酵調味料から添加物でゴマ化した調味料と、
無農薬野菜から農薬・肥料かけまくった野菜へ、
いきなり変わったんですよ。
学校や家庭環境も最悪だったが。
あらためて私は「逆」だったんだなと。
マクロビとか「理論」を勉強して、資格取れば、
「先生」として教えられるんだけど、
正直、オーガニックな無添加食材使って、
マクロビ料理作ったからと言って、
全てが美味しいわけじゃなかった。
何か違う感。
土台としての「味」を知らないじゃないかと。
私と同世代でも、裏に味噌蔵があったいわゆる古民家で、
ほとんど自家製って食生活なんてしてない。
若手の「先生」が、子供時代にそんな生活してただろうか、と。
まあ私は、歩いて行ける距離に畑があり、
自分も種を蒔いたりしてたし(遊びで)
味噌にしろオニギリにしろ、住んでる家の菌に、
血の繋がりのある祖母の手の常在菌も混じり、
私の体にかなりフィットしてたというものあるとは思うけど。
料理が目の前に出るまでに、
色々な過程があり、様々な命やエネルギーが入る。
私が子供の頃、最高のオヤツだと感動した「イチジクの甘露煮」。
てん菜糖、少なめで。
スーパーの300円台の「◯コメ味噌」より、
有機味噌の方が断然美味しいが、
(安い味噌は吐いた)
いくら自然食品店で良い食材を揃えても、
子供時代に食べた野菜や、味噌汁を超える物はなく。
祖母宅では今、味噌は大豆と麹菌?買って、
近所に頼んで作って貰ってると言ってたが、
昔は麹菌から作ってたらしい。
大豆ももちろん。
私はその過程は見てないんだが、
母が言うにはうちで「納豆」も作ってたそうだ。
温度、湿度、醸す菌の割合は、
個々の家によって違い、味も違う。
そういう代々の年季とか、
土に触れ、トータル的に感じて、
理論など知らない祖母が作るのと、
マクロビ理論で作るのと…
敵うわけもない。
和食って素材が美味しくないと味がもたない。
素材が美味しくないから、
添加物を大量に入れて味をつける。
その味に慣れた現代日本人は、
素材ではなく、調味料、添加物の味を美味しいと言う。
驚きだった。
タレだけでご飯が食べられる、というのもその典型だろう。
(育ち悪く見えるからヤメて)
近所の子供が、ご飯に醤油だけかけて食べてたことがあるが、
私は「そういう食べ方は違うよ」みたいに諭された。
そういう無意識に「教えられた」ことと、
「本物」を食べてた体験から、
現代のケチャップやマヨネーズ、ソース、塩、醤油など、
無分別にかけまくるのが、
なぜ美味しいのか分からないし、品格なく見える。
「リトル・フォレスト」みたいに、ウスターソースも、
自家製野菜を煮詰めて作るなら分かるけど。
一晩漬けたら何回か煮込む。
秋の最高スイーツ。
高度な理論を現代は学べるけど、
土台が足りないというか。
料理も「作品」だから、
その人の人間性や経験値が表れるってのもあると思うけど、
深みが…
そうか。深みがないんだ。
曲にしても、音楽的知識もあり、上手い人、
作曲する人は沢山いるけど、
正直、深みのない音ってのはある。
ちなみに、
私は有機と自然栽培を分けて書いてなかったけど、
「有機栽培」って、実は農薬を21種類ほど使用できる。
「化学肥料」は入れなくても、「有機肥料」を入れるので、
化学物質に汚染されてたりする。
STが働いてた産直↑
「化学肥料なし」だけど「肥料なし」ではない…
ここに行った話は別記事に書くけど、
「自然栽培」がほぼなかった。
オーガニックが多いだけにもったいない。
自然食品店では、有機と自然栽培は表示を分けてるが、
自然栽培のショップをやってる人が、
「F1種で有機栽培する」とか、「種なし果物を有機栽培」するとか、
そういう感覚が分からないと書いてたけど、私も同感。
「有機野菜」が、農薬・化学肥料の「通常栽培」より、
早く腐れてしまったという衝撃。
有機肥料入れすぎ。これが「波動の悪い有機野菜」でしょうか。
「自然じゃないことを、不自然に感じない」
「おかしいことを、おかしいと感じない」感性が、
一番恐ろしい。
おかしいことをおかしいと感じないと、
何も気にせず飲み食いし、
薬飲みまくり、医療費を無駄遣い。
動物虐殺、環境破壊。
おかしな政権を支持して、
右だの左だの実体のない民衆扇動に乗り、日本破滅。
人格統合的な取り組みでもネックになるのは、
「おかしいことをおかしいと思わない感性」だ。
自分のプライドをおかしいと思わない。
自分の自己卑下妄想をおかしいと思わない。
自分の良い子意識をおかしいと思わない。
言われた通り「受け売り」で語ることをおかしいと思わない。
歪んだ受容をしても苦しいと感じない。
自分の本心に気づかない。
私は「反抗期」には、毎日父と喧嘩し、
取っ組み合いしてたが、
「親に反抗できるのは、信頼感があるから」と、
何かで聞いた。
が、私は幼少期に親と暮らしてなかったし、
信頼感などあるわけもなかった。
(子供を放り出すほど非常識ではないというのはあったが)
じゃあなぜ反抗できたかというと、
祖母宅で自然とともに自由に生きた「第1七年期」で、
「意志」がある程度、確立できたお陰なんじゃないだろーかと。
だから、親の理不尽さが許せなかった。
特に父親のコントロールには、
「お前は間違っている」「許せない」
という気持ちしかなくて。
夏のメニュー。基本「夕」しか食べてない。
昼はつまむ程度。
ところがMを始め、結構多くの人が、
親に徹底的に反抗する前に諦めてる。
「言っても無駄だから」とか。
何かをやるに当たっても、この意識では前進できない。
お上がおかしくても、従ってしまう。
「意志の形成」ができなければ、
「感情の形成」もうまくできないのだ。
涙もろいとか、お笑い見て笑う、とか、
単純に「喜怒哀楽」を表現する人が「感情豊か」なわけじゃない。
どれだけ物事を繊細に感じ、
細かく自分の感情に気づくか、だ。
音楽を聴いて、歌詞を読んで、何を感じる?
絵を見て、何を感じる?
本を読んで、文章を読んで、映画見て、どう感じる?
みたいな。
趣味というのは、感じるからこそ持てる。
感動やトキメキがあるから、夢中になれる。
無感動・無趣味というのは問題だ。
情熱がなければ、人は発展もせず、成長もしない。
オタク的に集中しなきゃ、何も成せないのだ。
ピクシブで話題になってたルポ漫画、
「さびしすぎてレズ風俗行きましたレポ」↓を描いた
永田カビ氏の、
こっちはまだ読んでないけど、
「このマンガがすごい!2017」 オンナ編第3位に選ばれたらしい。
pixivでの閲覧回数もすごく、話題になってた。
帯のタイトルが「心を開くって、どうするんだっけ?」
「一人交換日記」を取り上げる。
TSUTAYAで推してたんで借りてきたのだが、共感&鋭い。
永田さんのインタビュー↓
「思ったことや感じたことを言葉にして書く、
というのはよくやっていましたね。
中学生のころの『一人交換日記』は、
自分をいくつかの人格に分けて書いていたんです。
それぞれ違う名前と性質を持たせて、
人格同士を会話させることもありました。」
って、コレ、人格統合やん。
言葉にして書くことは重要だ。すごい。
ウツを発症し、際どいバランスだった、
自身の親との関係とか、内面・内情暴露で、
ある意味「全てを晒してる」。
「寒い、痛い、辛い」という、
孤独の苦しみは、私の20代後半の苦しみと全く一緒。
本当に似てる。
永田さんの漫画は「吐き出し」から「自己表現」へ、
ネガティビティを、ポジティブ=クリエイティブに変換し、
読み手に共感を与え、救いを与える。
ホントそのまんま。
私も突っ伏して唸ってたから。苦しくて。
これもすっごい分かる。
太陽の光も届かない、冷たく暗い深海の底に沈む気分。
病まない人の方がマトモではない現代。
私はずっと違和感を感じ続けてたからこそ、
スピリチュアルな真理がスッと腹に落ちたが、
Mに言わせれば、
疑問を感じてこなかった自分のような人間にとっては、
「真理」は、読んだり教えられたりすれば、
理屈として理解できるけど、なかなか腹には落ちない、
らしい。
作者は親に直接反抗できないようだが、
私は父母に、散々反抗した。
でも作者の方が全然強い。
私より深く掘り下げ、自分の感情から逃げてない。
私はここまで全てを晒せない。
私より行動力もある。
私は浸って逃避し、ヤク中でダメダメだった。
辛さから逃げようとし、自分の内面を晒すことも、
クリエイティブに変換することもなかった。
あ、曲は作ってたか。
環境もあるにしろ、
鋭敏な感性だからこそ、ここまで感じて落ちる。
一般的に、
「鈍感」な人は「強く」、「繊細」な人は「弱い」という特質を持っている。
「強くて繊細」な人はほとんどいないが、
一概に「強弱」は言えないなと最近思う。
一方向から見たら弱く見える人でも、
苦しみを感じる人ほど、内面は強くなる。
私は、何も気にせず強そうに見える人ほど、
打たれ弱いというのを見てきた。
少しでも人から非難されることに耐えられないし、
自分のネガティブ感情に耐えられない。
だからすぐ怒ってプライドで跳ね返したり、
麻痺・逃避したりする。
自我が弱いからこそ、強く見せ、
プライドをコントロールできないんだと。
作者インタビューで、
漫画を描く上で気をつけていることは?に、
「美化しすぎず、卑下しすぎないことです。」と答えていた。
しっかり「等身大」を見ていて、
やはり「強い」と思う。
「コメントをくれたり、話題にしてくれたりするのは、
20代から30代の若い人が多いですが。」
とも言ってた。やはり若世代。
「ネアカ」(死語)で「勝ち組」好きな、
「暗いのイヤ」「気にしすぎでしょ」みたいな、
プライドで世渡りしてた私の同世代には、
分からない感覚じゃないかと。
作者が凄いと思うのは、
↓私が30過ぎてからやっと分かったってのに、
ここまで気づいてしまってる。
私も「愛されたい」だけだったし、
かつて、私は期待と依存が大きすぎて、
周りに失望したんだけど、
周りの人たちは、
私が感じていることを感じてないし、
私の見てるものを見ていないのだから、
私の気持ちに共感するのは無理な話だった。
その深い溝は、多分一生埋まらないと思う。
作者はその「理解が無理な相手」=お母さんに分かって欲しかった。
私は「理解が無理な相手」=友人に分かって欲しかった。
それが「無理」だと気づいた時、
作者は「母親への癒着」を断ち切る努力をした。
(ここも客観的に自分を見ていて凄いなと思う)
私は「友人への期待」を捨てなきゃなかった。
「脳が拒否して思考が消えようとする感覚」も把握してるし↑
自分が「受け取っていない」ことにも気付いてる↓
すごく客観的に自分を観察してる。
これがスピリチュアル的感性。
私の場合、
そのとき活性化した人格「ダザイ」がくすぶり続け、
30代に痛い経験をした。
未消化だったまま引き寄せた人達が、
あまりにも「感じない」ことにもショックだった。
私が「孤独のトラウマがある」と語ったとき、
「私には分かんない」「孤独を感じたことないから」
「私は独りの方が好きだから」みたいに言われ、
え??と。
そう言う人達は、
多分、一人暮らし経験もなかったが。
これ、すんごい、麻痺。
想像力の欠如。
「相互依存」で社会は成り立ってる。
人間、1人では生きていけないのは明白で、
たった1人で自然に放り出されたら、即、命の危機。
だから人は「孤独の恐怖」が一番強いらしい。
なのに「孤独が分かんない」って、鈍感すぎ。
孤独ゴマかすために、SNSでリア充アピってるじゃないですか、皆。
「リア充」装う「代行業」まで出てきて。
どんな人でも幼少期に寂しい経験はしてるはずだし、
そういう自分のネガティヴ感情を、
感じないほど封印し、どんだけ病んでるんだろう、
病んでるのに、本人は苦しみを感じてないんだ…
って、私は驚いた。
ちょっと想像すりゃ分かると思うけど、
自分の家族や、一緒に暮らしてるパートナー、
自分と関わる人が全員死んで、
自分がたった独りになったらどう感じるの?
孤独じゃないですか?
外部太陽系戦士が(セラムンのストーリーです)
太古の昔、たった1人で天王星、海王星、冥王星を護ってた、
なんて読んだら、
「それほどの孤独を…」ってなるじゃないですか、フツー。
まさしく天王星の衛星ウンブリエルにでも居るような感覚だったよ。
そんな「想像」すら出来ない。
正直、人として終わってないか?と思った。
そしてきちんと感じていれば、
実は「人の中にいるほど孤独感は募る」ってのも分かる。
「分からない」という言葉は、
始めから「相手の気持ちを分かろうとしない」
「共感しません」ってことでもある。
Mに、「孤独ワカンナイってのは誰か居て当然という、
人への感謝のなさもあるよね」と言ったら、
「確かにプライドだね」と納得してた。
人格「ダザイ」活性化中に引き寄せたMは、
昔、そういう麻痺が酷かった。
「100万やるから、たった1人で5億年生きろと言われたらやるか?」
という漫画(2002年)の話をしたら、
Mは、登場人物のおバカキャラと同じく、
軽く「やる!」と言って、
私とその場にいた友人の度肝を抜いた。
「5億年、たった1人だよ?」と何度聞いても、
「うん、やれるんじゃないかな〜」みたいな。
どんだけあんた、鈍いの?と。
せっかく悟ったのに、戻って来たら記憶は全て消去。
おバカ達は、また100万のために5億年再スタート。
同世代にも散々嘆いたけど、
「感じない人」は凄まじい。
「幸せ」とは「今、この世にある不幸を無いものとすること」
全くその通り!!
「日本という滅びゆく国に生まれた若い君たちへ」↓
↑「君たちが対峙する脅威とは、
外国資本の傀儡と化した自国政府であり、
生存権すら無効とする壮絶な搾取であり、
永劫に収束することのない原発事故であり、
正常な思考を奪う報道機関であり、
人間性の一切を破壊する学校教育であり、
貿易協定に偽装した植民地主義であり、
戦争国家のもたらす全体主義である」出版社コメント
いや、全くその通り。
こんな現状にあって、
「特に悩みないんだよね〜」「うちの家族幸せ!」って、
どんだけ頭にウジ湧いてんのか。
キラっとポジティブなハッピー💖スピリチュアルも、
恋愛体質ハッピー💖もウジ湧いてる。
軽くて何も考えないのは、
「犯罪に走る人の性格特質」らしいが、同じ性質では?
「映画の話」に戻る。
前にチラッと書いたけど、
宮城県北〜岩手南部?あたりの郷土料理「はっとう」を、
「リトル・フォレスト」の主人公は、
冬の雪掻き後に食べていた。
しかしうちの祖母に言わせれば、「はっとう」は夏の食べ物。
祖母も、何でだかね、と言っていたが、
年中暑いタイでも「トムヤムクン」とか「タイカレー」、
熱いの食べてるし。
だから私も夏場、夜ではなく、
明るいときに食べさせられてたが、
「はっとう」に、ご飯は付かなかった。
すでに結構「はっとう(小麦)」が入ってるから、
「ご飯」付けたら、
「うどん」と「ご飯」を食べてるようなもん。
感覚が変でしょ?
私は祖母に、うどん玉を煮込んだ
「かけうどん」も食べさせられてたが、
うどんは「単品」だ。
もちろん、ご飯は付かない。
はっとうも同じく「単品」なのだ。
付いたとしても「おここ(白菜漬け)」とかだろう。
「はっとう」は汁物代わりではない。
と、私は認識してるんだけど…
「炭水化物×炭水化物」という「糖質過多」当たり前な現代の日本。
物産館などでは、ご当地グルメ「はっとう定食」として、
そーゆー出し方をしてるけど…
ご当地キャラ「はっとん」。めっちゃカワユス。
どう食べたって人の勝手だが、
はっとうを「冬」に食べ、「ご飯付き」なのは違和感。
正直、子供の頃はあまり好きじゃなかったが、
「はっとう」に馴染みはあるので。
これが「マクロビ先生の料理」への違和感とも被る。
今、店では「観光用」に年中出され、
工場製のはっとうに、化学調味料の汁。
私からすれば偽物。
うちの祖母も「あそこのは美味しくないな〜」
と言ってたけど。
義叔母と祖母が作ったはっとう。
「季節問わず」といい、「定食スタイル」といい、
「コマーシャリズム」の影響だろう。
「文化の継承」が「形だけ」になってく…
コマーシャリズムが自然に根付いた文化を破壊し、
深く「知らない」人は、ステレオタイプ解釈になる。
「定食スタイル」は、それだけ染み付いてる。
義叔母もまた、ご飯付ける「今風スタイル」だ。
「祖母財産」なのだが…完全には継承されないだろう。
M曰く、「それが今の当たり前の感覚なんだよ。
汁物と同じ感覚なんだよ」と。
さすがにうちの母は「炭水化物多いと太る」と言って、
そういう食べ方はせず(とはいえメタボ)、
多分、母が子供のころ当たり前であったであろう
スタイルで食べてはいる。
(でも惣菜とか出来合いが多く、添加物ばかり)
Mも、「出てきても不自然には思わないけど、
はっとうだったらご飯は付けない」と。
せっかく国際映画祭に出品されたイイ作品なのに…
と思ってしまう。
細かすぎるだろうか?
私は本物を継承したいだけなんだが。
それと。
「絵を描く人」というのは、
ユングのタイプ論的に「感覚タイプ」が多いのかなと。
感覚的な風景描写・心理描写。
私は絵は得意だけど、これは私には無理。
私は「直感タイプ」だと思う。
誰が髪を切った、というのには気づかないが、
「ああ、そうか」と、ハッと気づくことが多い。
言葉やメロディが流れてきたり。
こないだは寝入りばなに、
J-POP的メロディがいくつも降ってきて、
好きじゃないのに、必要ないのに何で?って思った。
私の「感じる」は、「五感」より「直感」優先だと思う。
郊外で犬との戯れ。
「リトル・フォレスト」では「合鴨農法」が出てきて、
鴨をシメるシーンがあったが、
見るに耐えなかったから飛ばした。
「自分で殺しもしないのに殺し方にケチをつける都会人」に、
反発を持つ登場人物も出てくるが、
私はそもそもいらないです。
鴨を利用するだけして、不要になれば殺す、
という人間の利己主義に賛成できない。
確かに現代人は、自分の手を汚さず、
誰かに押し付け、飽食してるから、
そんなに豚みたいに(豚に失礼だが)
バクバク肉ばっか食いたいなら、
自分で牛豚を逆さ吊りにして、
刃物刺して殺せばいいのにと思う。
ちなみに五十嵐大介氏の別作品「ディザインズ」↓では
「サンモント社」という、
まんまな遺伝子組み換え会社が出てきます。
「焼き鳥旨かった!」とか言う人が、
「うちの犬or猫可愛い」って言ってるの聞くと「寒気」を感じる。
いずれにしろ、食や命への感謝がなけりゃ、
「感情」が育ってなきゃ、
他人の心なんて想像しないし、
他国が貧困だろうが、テロ起きようが、
大勢人が死のうが、放射能たれ流しだろうが無関心で、
「自分が生きていられてる」ということへの感謝も感じないだろう。
食物もなく、他人もいなければ、
自分は生きてなんていけないのに、
孤独なんて感じないと言い切り、動植物のことも考えない。
米も自給自足な「リトル・フォレスト」、
日本人の米消費は多く、稲作農家に頼ってるが、
畑なら自分でも少しはできるかなと思うけど、
水を張る「水田」は…。
だから将来的に稲作ってどうなのかな、と思った。
穀物に対する警鐘↓
日本は世界で一番「水」を消費し、地下水は汚染状態。
父の本だけど、
「炭水化物が人類を滅ぼす」
なかなかショッキングなタイトルです。
「穀物に依存してると未来がない」
ここ10年ぐらいで「糖質」について、
様々言われるようになった。
「ご飯1杯分は、角砂糖17個分」
一般的には、米や小麦を「糖分」だと認識してないが、
体の中で糖に変換される、立派な糖分。
砂糖は甘いからセーブがきくが、
炭水化物はそんなに甘くないだけに「沢山食べられる砂糖」。
「甘い物そんな食べないし」なんて言えない。
一流選手に「断食」してる人は多いらしく、
ダルビッシュ選手も「ファスティング」↓
「天才は究極のオタク」ってのも納得な言葉だ。
父は初期がん認定され、色々調べてるらしいが、
「がんにならないハイブリット・ボディとは」↓
「WHOによる推奨糖類摂取量」↓
子供は1日「砂糖小さじ6杯程度」
3食ご飯食べてる時点でアウトじゃん。
それに菓子まで食わせたら……
「若くて健康な人は皆、少食」↓
そもそも人間の胃ってそんな大きくない。
「糖質過多の食生活では脂肪は燃焼されない」↓
これはリアルにそう思う。
私も高校時代からダイエット的なことをしてたけど、
痩せたり太ったり。
「貧困層ほど太る」よく言われますね。
マクロビにしても基本「穀物中心」。
マクロビ系「ファスティング・ダイエット」では、
「甘酒にクズ湯入れて1日3杯飲む」とか。
子供の頃は確かに「ご飯に1汁1、2菜」だった。
でもそのスタイルはどうでもいい。
私の土台は「スタイル」じゃない。
猫マンマな「味噌汁かけご飯」が美味しくて
おかわりしてしてたことはあるけど、
それは「味噌汁」が美味しかったからで、
「ご飯」食べたさではなかった。
Mは逆の感覚。だから驚く。
そんなわけで「糖質過剰」に気づき、
「ブドウ糖システム」から「ケトン体システム」へ切り替え生活。
(眠気やダルさ、ウツがなくなった)
やっと体重がしっかり落ちてきて。
安定してるというか。
全ては「バランス」だけど、
(美はバランス、統合も陰陽のバランス)
そのバランスが分からないと、おかしさに気づかないんだよ。
和食は確かに、「1汁1・2菜」というバランスがあったし、
洋食だって、前菜・メインディッシュ云々とあるわけでしょ。
「バランス良く食べましょう」なんて言っても、
何がバランスなのか。
バランス感覚を持たず、好きなモノだけ食べてたら、
「食依存」で、どんどんバランスを欠いていく。
昔の日本人も、そんなに米を食べてたわけではない↓
生活パターンも今とはかなり違う。
糖質過剰はガンとも関係している、と↓
糖分はガン細胞の栄養だし。
「糖質制限食」には医学的な「明確なエビデンス」がある↓
「ケトーシス」起こすという反対派もいるが。
うちの父の「がん食レシピ」。
なかなか美味しそうなので、作ろうと思った。
つか、普段うちらが食べてるよーな…
↑美味しそうだったので、ひき肉なしで作ってみた↓
1回目は豆乳煮立ててしまって、ちょい失敗。
美味しかったけど。
父は「がん用ケトン食」を忠実に実践してるらしく、
「肉」も青森から取り寄せてたけど、
それはどーなの?やめたらいいのにって思うが、
肉止めるとかえって悪化する人もいるらしいしなぁ…
父は、ホルモン値が異常な「初期」という診断で、
「5年後に抗がん治療を始める」って、医者に脅されたらしい。
(何5年後って?イミフ。露骨な金儲け?何千万円も転がり込むガン治療)
言われるままホルモン剤打って、
5年後にガン治療始めたら終わりだと思ったが、
ホリスティックな治療に目覚めたのは良かった。
ガンのステージによって、炭水化物の量も変わる。
ステージが進むにつれ、糖質95%オフ。
根本的に見つめ直す必要があると思う。
冒頭の「卵を常備してる」と言う発言もそうだが、
自分の当たり前は、当たり前じゃない。
↓ホントに美味しいときはこう感じる。
中毒での「食いたい」「美味しい」と、
「体が喜ぶ」「細胞に染み渡り、活性化するよう」な感覚は違う。
その感覚に従い、いつも今自分が必要なものを選べればなあ。
Dr. 新谷弘実の「病気にならない生き方3」より。
いかに人は「無意識」に「習慣化したパターン」を
生きてるかということ。
「栄養素スコア」↓
栄養素高いものから低いものへ。
ポテチ最悪。
ポテチの害は、こないだ正式論文発表された。
例えオーガニックでも。
私、デザイン学校のイラストの卒制で、
こーゆー「半獣人」描いてた↓
コンセプトは「遺伝子操作動物関係のイベント」と、
「半獣人」が描きたかったばかりに適当にこじつけたんだけど、
あのイラストどうなったのか。
嫌で捨てたかもしんない。
まず料理。
ある夏の夕食。
今は「卵」を極力避けてる。
私らは、食べたいと思った食材をその都度買ってるので、
…それが普通だと思うんだが、
「もう常備してないの?」という言葉を聞いたとき、
「常備」という言葉に違和感だった。
サラダの方はヴィーガン・チーズ。
「常備する」というのは、パターン行動だろう。
必要なものは日々変わるのに、
「常に」同じものを「備える」のはおかしい。
もしそういう無意識感覚で「卵」を買うのなら、
…だからこそ、多くのニワトリの命が消費されてます。
色んな野菜巻いた生春巻き。糖質ほぼなし。
ささやかな私のお子ちゃまコレクション↓
「ワンセブン」と隣の「ワンエイト」(弟)、
スカイブルーとオレンジの「ズゴッグ」は配色がイイ。
メカゴジラよか「キングギドラ」が好きだったんだけど…
前にある「百合界のカリスマ」2人は、
子供人格ではなく、20代の人格の好みですが、
「膝枕ができるので2人揃えてください」とか、
確かバンダイ広報が宣伝してたと思うので、
そーゆーゆるい感覚の日本イイ。
私の理想(女性)はやはり↓ですが、
(外国の人作)
当然のことながら、現実に不在な人物像。
人間、魂が進化すると、恋愛離れしていく。
「恋愛妄想ドラマ」に気づき、
「男性性と女性性は自分で統合するしかない」って悟り、
「無力感」に基づく「他者依存」から、
自分自身を成長させようとする「自力」へシフトする。
未熟な人ほど恋愛に依存すると言うが、
私の中の恋愛したがってた人格「ダザイ」は、
私の人格の中でも一番未熟で幼い。
「スピリチュアル」で金稼ぐ人でさえ、
「恋愛を絡めると集客できる」と言ってたのでね。
それ、「スピリチュアルじゃないでしょ」って思うけど。
「スピリチュアルを利用した商売」であって。本末転倒。
付き合えば付き合うほど、
相手の嫌な面を見て、自分の闇も出る。
大好き!とか全然言えなくなる。
いつまでも「私、旦那大好きなんです!」って人は、
深く関わらず、ポジ面しか見てないんだろーな。
分裂しまくってる自分や相手を受け入れ、
共に進化しようと関わるのは、
相当な「忍耐」であり、それこそ「愛」ですよ。
だからスピの「リンデンバウム」でも、
「二次元キャラで十分」と言ってる。
妄想は妄想で楽しみましょう。
まだお目にかかってないが、
こういう食玩もあるらしい↓
キラキラ☆プリキュアアラモード「あきゆか」
Mは映画に行って、子供と一緒にペンライト振る気満々なんだけど…
低年齢層向けアニメだってのに、
やはりバンダイ商品開発担当ブログでは、
「2人揃えてぜひ飾ってください」
欧米は、日本人よか良くも悪くも「父性的」。
原理主義者とか保守とかレイシストとか、
本気で潰しにかかってくるし、
そこで私はゲイだ!と強く主張するハメになるから、
海外での、何かのイベントでは↓
差別撤廃イベントみたいなもんでしょうか。
「百合界のカリスマ」のコスプレ…
ジャパニメーションの浸透率は高い。
イスラム教国でも↓
女性が頭から被んなきゃない「ヒジャブ」を逆利用し、
イスラム女子がコスプレ。
ウチの猫と似てるな。
ムスリムが一番多いのは、実はインドネシアらしく、
中東ではなくて東南アジアだが。
ナシゴレン好き。アジア料理は好き。
PUNKSも頑張ってる地域ですからね。
さすがミレニアム世代。
ユーモアのないところに悪が栄える。
漫画は今、ほとんど読まないんだけど、
Mが最近借りて来た映画「リトル・フォレスト」↓観た。
「夏・秋編」
岩手県の農村を舞台にした、時給自足生活ストーリー。
アフタヌーンに連載されてた五十嵐大介の漫画が原作だった。
レシピがサレオツな田舎料理が魅力。
原作者のレシピなんだけど、
映画ではやはり専門チームが監修に当たってた。
※料理家率いる原宿のレストラン「eatrip」チーム。
原作の料理を再現してる読者も多いようだ。
ベルリン国際映画祭キュリナリー・シネマ部門等にも出品された。
料理が都会的で細やかだから、
原作者が男性ってのも驚き(ステレオタイプ的偏見)。
まあ健康的に糖質だグルテンだと個人的にはあるが、
ロハスで美味しそう。
自然も綺麗だ。
作者の体験が基になってるっていうから、
私と同じよーに田舎で育ったのかと思ったけど、
若干感覚が違っていて、よく調べたら、
原作者は美大を卒業後、漫画家となり、
「Iターンして2年ほど時給自足生活してた」ってので納得。
料理や田舎暮らしを観察する感性は「大人」のものだ。
で、さすが美大出、芸術的で繊細で鋭い。
子供時代に田舎で暮らしてたら、
いくら感受性鋭くても、
こういう感じ方はしないだろうな、と。
私は作者の大人な洗練された感性と違い、
子供の単純な感性で、そのような生活を体験していたから、
もっとおおらかで明るく、シンプル思考だった。
シンプル。「バットにボールが当たった瞬間が撮りたい!」と、
結局こんなチャチい写真に…
シュタイナーが9歳までは、
戦いの星「火星」の音であるC=ドと、
恋愛の星「金星」の音であるF=ファは、
幼い子供にはまだ早いので、
「5音音階(ペンタトニック)」の音楽を聴かせるように、
(9歳までの子供は、5度音程の雰囲気の中で生きている)
と言ってたけど、子供には不必要なものがある。
今の子供は情報が多く、
小さいうちから大人の世界をのぞいてしまう。
子供の成長にはよろしくない。
「ドラマ」なんかもその典型。
子供として自由に体験すべきことが阻害される。
自由な感性を獲得できない。
それが無気力や、情熱の欠如にもつながってると思う。
「早熟」というのは、早く老ける、ということであり、
「魂的に成長する」という意味ではない。
大人の分裂した自我のカオスな世界に毒され、
「未熟なまま老ける」ということだと思う。
私は、お年寄りと自然と動物の中で、
色気付いた情報もなく、被害者意識ドラマもなく、
単純頭で無邪気だったんですよ。
マクロビとかでは、現代の動物性食品過多で(だったかな)
生まれてくる時点で赤子が老けてる、と言われるけど、
シュタイナー的に言えば、アーリマンの力が働き過ぎ。
「冬・春編」
自分のルーツ書いてて、あらためて思ったけど、
私は、土台がマクロビ的な地域に根付いた田舎料理。
よく、自然食に目覚めた人が、
「初めて食べた無農薬野菜の美味しさに感動した!」
ってのは定番だけど、私は逆。
祖母の家を離れたら、「ゲロマズ」!!
世の中で売られてる食材全て、
野菜も調味料も、外食も給食も全て、
クッソマズ!!!!!!!!!!!!!
その衝撃で、私は、
「全てスーパーでそろえた食材のご飯」が食べられなくなり、
思春期から20代は菓子の暴飲暴食に走り、激太りに苦しみ。
腸内環境、一気に悪化。小3〜中3まで便秘にも苦しんだ。
だって天然発酵調味料から添加物でゴマ化した調味料と、
無農薬野菜から農薬・肥料かけまくった野菜へ、
いきなり変わったんですよ。
学校や家庭環境も最悪だったが。
あらためて私は「逆」だったんだなと。
マクロビとか「理論」を勉強して、資格取れば、
「先生」として教えられるんだけど、
正直、オーガニックな無添加食材使って、
マクロビ料理作ったからと言って、
全てが美味しいわけじゃなかった。
何か違う感。
土台としての「味」を知らないじゃないかと。
私と同世代でも、裏に味噌蔵があったいわゆる古民家で、
ほとんど自家製って食生活なんてしてない。
若手の「先生」が、子供時代にそんな生活してただろうか、と。
まあ私は、歩いて行ける距離に畑があり、
自分も種を蒔いたりしてたし(遊びで)
味噌にしろオニギリにしろ、住んでる家の菌に、
血の繋がりのある祖母の手の常在菌も混じり、
私の体にかなりフィットしてたというものあるとは思うけど。
料理が目の前に出るまでに、
色々な過程があり、様々な命やエネルギーが入る。
私が子供の頃、最高のオヤツだと感動した「イチジクの甘露煮」。
てん菜糖、少なめで。
スーパーの300円台の「◯コメ味噌」より、
有機味噌の方が断然美味しいが、
(安い味噌は吐いた)
いくら自然食品店で良い食材を揃えても、
子供時代に食べた野菜や、味噌汁を超える物はなく。
祖母宅では今、味噌は大豆と麹菌?買って、
近所に頼んで作って貰ってると言ってたが、
昔は麹菌から作ってたらしい。
大豆ももちろん。
私はその過程は見てないんだが、
母が言うにはうちで「納豆」も作ってたそうだ。
温度、湿度、醸す菌の割合は、
個々の家によって違い、味も違う。
そういう代々の年季とか、
土に触れ、トータル的に感じて、
理論など知らない祖母が作るのと、
マクロビ理論で作るのと…
敵うわけもない。
和食って素材が美味しくないと味がもたない。
素材が美味しくないから、
添加物を大量に入れて味をつける。
その味に慣れた現代日本人は、
素材ではなく、調味料、添加物の味を美味しいと言う。
驚きだった。
タレだけでご飯が食べられる、というのもその典型だろう。
(育ち悪く見えるからヤメて)
近所の子供が、ご飯に醤油だけかけて食べてたことがあるが、
私は「そういう食べ方は違うよ」みたいに諭された。
そういう無意識に「教えられた」ことと、
「本物」を食べてた体験から、
現代のケチャップやマヨネーズ、ソース、塩、醤油など、
無分別にかけまくるのが、
なぜ美味しいのか分からないし、品格なく見える。
「リトル・フォレスト」みたいに、ウスターソースも、
自家製野菜を煮詰めて作るなら分かるけど。
一晩漬けたら何回か煮込む。
秋の最高スイーツ。
高度な理論を現代は学べるけど、
土台が足りないというか。
料理も「作品」だから、
その人の人間性や経験値が表れるってのもあると思うけど、
深みが…
そうか。深みがないんだ。
曲にしても、音楽的知識もあり、上手い人、
作曲する人は沢山いるけど、
正直、深みのない音ってのはある。
ちなみに、
私は有機と自然栽培を分けて書いてなかったけど、
「有機栽培」って、実は農薬を21種類ほど使用できる。
「化学肥料」は入れなくても、「有機肥料」を入れるので、
化学物質に汚染されてたりする。
STが働いてた産直↑
「化学肥料なし」だけど「肥料なし」ではない…
ここに行った話は別記事に書くけど、
「自然栽培」がほぼなかった。
オーガニックが多いだけにもったいない。
自然食品店では、有機と自然栽培は表示を分けてるが、
自然栽培のショップをやってる人が、
「F1種で有機栽培する」とか、「種なし果物を有機栽培」するとか、
そういう感覚が分からないと書いてたけど、私も同感。
「有機野菜」が、農薬・化学肥料の「通常栽培」より、
早く腐れてしまったという衝撃。
有機肥料入れすぎ。これが「波動の悪い有機野菜」でしょうか。
「自然じゃないことを、不自然に感じない」
「おかしいことを、おかしいと感じない」感性が、
一番恐ろしい。
おかしいことをおかしいと感じないと、
何も気にせず飲み食いし、
薬飲みまくり、医療費を無駄遣い。
動物虐殺、環境破壊。
おかしな政権を支持して、
右だの左だの実体のない民衆扇動に乗り、日本破滅。
人格統合的な取り組みでもネックになるのは、
「おかしいことをおかしいと思わない感性」だ。
自分のプライドをおかしいと思わない。
自分の自己卑下妄想をおかしいと思わない。
自分の良い子意識をおかしいと思わない。
言われた通り「受け売り」で語ることをおかしいと思わない。
歪んだ受容をしても苦しいと感じない。
自分の本心に気づかない。
私は「反抗期」には、毎日父と喧嘩し、
取っ組み合いしてたが、
「親に反抗できるのは、信頼感があるから」と、
何かで聞いた。
が、私は幼少期に親と暮らしてなかったし、
信頼感などあるわけもなかった。
(子供を放り出すほど非常識ではないというのはあったが)
じゃあなぜ反抗できたかというと、
祖母宅で自然とともに自由に生きた「第1七年期」で、
「意志」がある程度、確立できたお陰なんじゃないだろーかと。
だから、親の理不尽さが許せなかった。
特に父親のコントロールには、
「お前は間違っている」「許せない」
という気持ちしかなくて。
夏のメニュー。基本「夕」しか食べてない。
昼はつまむ程度。
ところがMを始め、結構多くの人が、
親に徹底的に反抗する前に諦めてる。
「言っても無駄だから」とか。
何かをやるに当たっても、この意識では前進できない。
お上がおかしくても、従ってしまう。
「意志の形成」ができなければ、
「感情の形成」もうまくできないのだ。
涙もろいとか、お笑い見て笑う、とか、
単純に「喜怒哀楽」を表現する人が「感情豊か」なわけじゃない。
どれだけ物事を繊細に感じ、
細かく自分の感情に気づくか、だ。
音楽を聴いて、歌詞を読んで、何を感じる?
絵を見て、何を感じる?
本を読んで、文章を読んで、映画見て、どう感じる?
みたいな。
趣味というのは、感じるからこそ持てる。
感動やトキメキがあるから、夢中になれる。
無感動・無趣味というのは問題だ。
情熱がなければ、人は発展もせず、成長もしない。
オタク的に集中しなきゃ、何も成せないのだ。
ピクシブで話題になってたルポ漫画、
「さびしすぎてレズ風俗行きましたレポ」↓を描いた
永田カビ氏の、
こっちはまだ読んでないけど、
「このマンガがすごい!2017」 オンナ編第3位に選ばれたらしい。
pixivでの閲覧回数もすごく、話題になってた。
帯のタイトルが「心を開くって、どうするんだっけ?」
「一人交換日記」を取り上げる。
TSUTAYAで推してたんで借りてきたのだが、共感&鋭い。
永田さんのインタビュー↓
「思ったことや感じたことを言葉にして書く、
というのはよくやっていましたね。
中学生のころの『一人交換日記』は、
自分をいくつかの人格に分けて書いていたんです。
それぞれ違う名前と性質を持たせて、
人格同士を会話させることもありました。」
って、コレ、人格統合やん。
言葉にして書くことは重要だ。すごい。
ウツを発症し、際どいバランスだった、
自身の親との関係とか、内面・内情暴露で、
ある意味「全てを晒してる」。
「寒い、痛い、辛い」という、
孤独の苦しみは、私の20代後半の苦しみと全く一緒。
本当に似てる。
永田さんの漫画は「吐き出し」から「自己表現」へ、
ネガティビティを、ポジティブ=クリエイティブに変換し、
読み手に共感を与え、救いを与える。
ホントそのまんま。
私も突っ伏して唸ってたから。苦しくて。
これもすっごい分かる。
太陽の光も届かない、冷たく暗い深海の底に沈む気分。
病まない人の方がマトモではない現代。
私はずっと違和感を感じ続けてたからこそ、
スピリチュアルな真理がスッと腹に落ちたが、
Mに言わせれば、
疑問を感じてこなかった自分のような人間にとっては、
「真理」は、読んだり教えられたりすれば、
理屈として理解できるけど、なかなか腹には落ちない、
らしい。
作者は親に直接反抗できないようだが、
私は父母に、散々反抗した。
でも作者の方が全然強い。
私より深く掘り下げ、自分の感情から逃げてない。
私はここまで全てを晒せない。
私より行動力もある。
私は浸って逃避し、ヤク中でダメダメだった。
辛さから逃げようとし、自分の内面を晒すことも、
クリエイティブに変換することもなかった。
あ、曲は作ってたか。
環境もあるにしろ、
鋭敏な感性だからこそ、ここまで感じて落ちる。
一般的に、
「鈍感」な人は「強く」、「繊細」な人は「弱い」という特質を持っている。
「強くて繊細」な人はほとんどいないが、
一概に「強弱」は言えないなと最近思う。
一方向から見たら弱く見える人でも、
苦しみを感じる人ほど、内面は強くなる。
私は、何も気にせず強そうに見える人ほど、
打たれ弱いというのを見てきた。
少しでも人から非難されることに耐えられないし、
自分のネガティブ感情に耐えられない。
だからすぐ怒ってプライドで跳ね返したり、
麻痺・逃避したりする。
自我が弱いからこそ、強く見せ、
プライドをコントロールできないんだと。
作者インタビューで、
漫画を描く上で気をつけていることは?に、
「美化しすぎず、卑下しすぎないことです。」と答えていた。
しっかり「等身大」を見ていて、
やはり「強い」と思う。
「コメントをくれたり、話題にしてくれたりするのは、
20代から30代の若い人が多いですが。」
とも言ってた。やはり若世代。
「ネアカ」(死語)で「勝ち組」好きな、
「暗いのイヤ」「気にしすぎでしょ」みたいな、
プライドで世渡りしてた私の同世代には、
分からない感覚じゃないかと。
作者が凄いと思うのは、
↓私が30過ぎてからやっと分かったってのに、
ここまで気づいてしまってる。
私も「愛されたい」だけだったし、
かつて、私は期待と依存が大きすぎて、
周りに失望したんだけど、
周りの人たちは、
私が感じていることを感じてないし、
私の見てるものを見ていないのだから、
私の気持ちに共感するのは無理な話だった。
その深い溝は、多分一生埋まらないと思う。
作者はその「理解が無理な相手」=お母さんに分かって欲しかった。
私は「理解が無理な相手」=友人に分かって欲しかった。
それが「無理」だと気づいた時、
作者は「母親への癒着」を断ち切る努力をした。
(ここも客観的に自分を見ていて凄いなと思う)
私は「友人への期待」を捨てなきゃなかった。
「脳が拒否して思考が消えようとする感覚」も把握してるし↑
自分が「受け取っていない」ことにも気付いてる↓
すごく客観的に自分を観察してる。
これがスピリチュアル的感性。
私の場合、
そのとき活性化した人格「ダザイ」がくすぶり続け、
30代に痛い経験をした。
未消化だったまま引き寄せた人達が、
あまりにも「感じない」ことにもショックだった。
私が「孤独のトラウマがある」と語ったとき、
「私には分かんない」「孤独を感じたことないから」
「私は独りの方が好きだから」みたいに言われ、
え??と。
そう言う人達は、
多分、一人暮らし経験もなかったが。
これ、すんごい、麻痺。
想像力の欠如。
「相互依存」で社会は成り立ってる。
人間、1人では生きていけないのは明白で、
たった1人で自然に放り出されたら、即、命の危機。
だから人は「孤独の恐怖」が一番強いらしい。
なのに「孤独が分かんない」って、鈍感すぎ。
孤独ゴマかすために、SNSでリア充アピってるじゃないですか、皆。
「リア充」装う「代行業」まで出てきて。
どんな人でも幼少期に寂しい経験はしてるはずだし、
そういう自分のネガティヴ感情を、
感じないほど封印し、どんだけ病んでるんだろう、
病んでるのに、本人は苦しみを感じてないんだ…
って、私は驚いた。
ちょっと想像すりゃ分かると思うけど、
自分の家族や、一緒に暮らしてるパートナー、
自分と関わる人が全員死んで、
自分がたった独りになったらどう感じるの?
孤独じゃないですか?
外部太陽系戦士が(セラムンのストーリーです)
太古の昔、たった1人で天王星、海王星、冥王星を護ってた、
なんて読んだら、
「それほどの孤独を…」ってなるじゃないですか、フツー。
まさしく天王星の衛星ウンブリエルにでも居るような感覚だったよ。
そんな「想像」すら出来ない。
正直、人として終わってないか?と思った。
そしてきちんと感じていれば、
実は「人の中にいるほど孤独感は募る」ってのも分かる。
「分からない」という言葉は、
始めから「相手の気持ちを分かろうとしない」
「共感しません」ってことでもある。
Mに、「孤独ワカンナイってのは誰か居て当然という、
人への感謝のなさもあるよね」と言ったら、
「確かにプライドだね」と納得してた。
人格「ダザイ」活性化中に引き寄せたMは、
昔、そういう麻痺が酷かった。
「100万やるから、たった1人で5億年生きろと言われたらやるか?」
という漫画(2002年)の話をしたら、
Mは、登場人物のおバカキャラと同じく、
軽く「やる!」と言って、
私とその場にいた友人の度肝を抜いた。
「5億年、たった1人だよ?」と何度聞いても、
「うん、やれるんじゃないかな〜」みたいな。
どんだけあんた、鈍いの?と。
せっかく悟ったのに、戻って来たら記憶は全て消去。
おバカ達は、また100万のために5億年再スタート。
同世代にも散々嘆いたけど、
「感じない人」は凄まじい。
「幸せ」とは「今、この世にある不幸を無いものとすること」
全くその通り!!
「日本という滅びゆく国に生まれた若い君たちへ」↓
↑「君たちが対峙する脅威とは、
外国資本の傀儡と化した自国政府であり、
生存権すら無効とする壮絶な搾取であり、
永劫に収束することのない原発事故であり、
正常な思考を奪う報道機関であり、
人間性の一切を破壊する学校教育であり、
貿易協定に偽装した植民地主義であり、
戦争国家のもたらす全体主義である」出版社コメント
いや、全くその通り。
こんな現状にあって、
「特に悩みないんだよね〜」「うちの家族幸せ!」って、
どんだけ頭にウジ湧いてんのか。
キラっとポジティブなハッピー💖スピリチュアルも、
恋愛体質ハッピー💖もウジ湧いてる。
軽くて何も考えないのは、
「犯罪に走る人の性格特質」らしいが、同じ性質では?
「映画の話」に戻る。
前にチラッと書いたけど、
宮城県北〜岩手南部?あたりの郷土料理「はっとう」を、
「リトル・フォレスト」の主人公は、
冬の雪掻き後に食べていた。
しかしうちの祖母に言わせれば、「はっとう」は夏の食べ物。
祖母も、何でだかね、と言っていたが、
年中暑いタイでも「トムヤムクン」とか「タイカレー」、
熱いの食べてるし。
だから私も夏場、夜ではなく、
明るいときに食べさせられてたが、
「はっとう」に、ご飯は付かなかった。
すでに結構「はっとう(小麦)」が入ってるから、
「ご飯」付けたら、
「うどん」と「ご飯」を食べてるようなもん。
感覚が変でしょ?
私は祖母に、うどん玉を煮込んだ
「かけうどん」も食べさせられてたが、
うどんは「単品」だ。
もちろん、ご飯は付かない。
はっとうも同じく「単品」なのだ。
付いたとしても「おここ(白菜漬け)」とかだろう。
「はっとう」は汁物代わりではない。
と、私は認識してるんだけど…
「炭水化物×炭水化物」という「糖質過多」当たり前な現代の日本。
物産館などでは、ご当地グルメ「はっとう定食」として、
そーゆー出し方をしてるけど…
ご当地キャラ「はっとん」。めっちゃカワユス。
どう食べたって人の勝手だが、
はっとうを「冬」に食べ、「ご飯付き」なのは違和感。
正直、子供の頃はあまり好きじゃなかったが、
「はっとう」に馴染みはあるので。
これが「マクロビ先生の料理」への違和感とも被る。
今、店では「観光用」に年中出され、
工場製のはっとうに、化学調味料の汁。
私からすれば偽物。
うちの祖母も「あそこのは美味しくないな〜」
と言ってたけど。
義叔母と祖母が作ったはっとう。
「季節問わず」といい、「定食スタイル」といい、
「コマーシャリズム」の影響だろう。
「文化の継承」が「形だけ」になってく…
コマーシャリズムが自然に根付いた文化を破壊し、
深く「知らない」人は、ステレオタイプ解釈になる。
「定食スタイル」は、それだけ染み付いてる。
義叔母もまた、ご飯付ける「今風スタイル」だ。
「祖母財産」なのだが…完全には継承されないだろう。
M曰く、「それが今の当たり前の感覚なんだよ。
汁物と同じ感覚なんだよ」と。
さすがにうちの母は「炭水化物多いと太る」と言って、
そういう食べ方はせず(とはいえメタボ)、
多分、母が子供のころ当たり前であったであろう
スタイルで食べてはいる。
(でも惣菜とか出来合いが多く、添加物ばかり)
Mも、「出てきても不自然には思わないけど、
はっとうだったらご飯は付けない」と。
せっかく国際映画祭に出品されたイイ作品なのに…
と思ってしまう。
細かすぎるだろうか?
私は本物を継承したいだけなんだが。
それと。
「絵を描く人」というのは、
ユングのタイプ論的に「感覚タイプ」が多いのかなと。
感覚的な風景描写・心理描写。
私は絵は得意だけど、これは私には無理。
私は「直感タイプ」だと思う。
誰が髪を切った、というのには気づかないが、
「ああ、そうか」と、ハッと気づくことが多い。
言葉やメロディが流れてきたり。
こないだは寝入りばなに、
J-POP的メロディがいくつも降ってきて、
好きじゃないのに、必要ないのに何で?って思った。
私の「感じる」は、「五感」より「直感」優先だと思う。
郊外で犬との戯れ。
「リトル・フォレスト」では「合鴨農法」が出てきて、
鴨をシメるシーンがあったが、
見るに耐えなかったから飛ばした。
「自分で殺しもしないのに殺し方にケチをつける都会人」に、
反発を持つ登場人物も出てくるが、
私はそもそもいらないです。
鴨を利用するだけして、不要になれば殺す、
という人間の利己主義に賛成できない。
確かに現代人は、自分の手を汚さず、
誰かに押し付け、飽食してるから、
そんなに豚みたいに(豚に失礼だが)
バクバク肉ばっか食いたいなら、
自分で牛豚を逆さ吊りにして、
刃物刺して殺せばいいのにと思う。
ちなみに五十嵐大介氏の別作品「ディザインズ」↓では
「サンモント社」という、
まんまな遺伝子組み換え会社が出てきます。
「焼き鳥旨かった!」とか言う人が、
「うちの犬or猫可愛い」って言ってるの聞くと「寒気」を感じる。
いずれにしろ、食や命への感謝がなけりゃ、
「感情」が育ってなきゃ、
他人の心なんて想像しないし、
他国が貧困だろうが、テロ起きようが、
大勢人が死のうが、放射能たれ流しだろうが無関心で、
「自分が生きていられてる」ということへの感謝も感じないだろう。
食物もなく、他人もいなければ、
自分は生きてなんていけないのに、
孤独なんて感じないと言い切り、動植物のことも考えない。
米も自給自足な「リトル・フォレスト」、
日本人の米消費は多く、稲作農家に頼ってるが、
畑なら自分でも少しはできるかなと思うけど、
水を張る「水田」は…。
だから将来的に稲作ってどうなのかな、と思った。
穀物に対する警鐘↓
日本は世界で一番「水」を消費し、地下水は汚染状態。
父の本だけど、
「炭水化物が人類を滅ぼす」
なかなかショッキングなタイトルです。
「穀物に依存してると未来がない」
ここ10年ぐらいで「糖質」について、
様々言われるようになった。
「ご飯1杯分は、角砂糖17個分」
一般的には、米や小麦を「糖分」だと認識してないが、
体の中で糖に変換される、立派な糖分。
砂糖は甘いからセーブがきくが、
炭水化物はそんなに甘くないだけに「沢山食べられる砂糖」。
「甘い物そんな食べないし」なんて言えない。
一流選手に「断食」してる人は多いらしく、
ダルビッシュ選手も「ファスティング」↓
「天才は究極のオタク」ってのも納得な言葉だ。
父は初期がん認定され、色々調べてるらしいが、
「がんにならないハイブリット・ボディとは」↓
「WHOによる推奨糖類摂取量」↓
子供は1日「砂糖小さじ6杯程度」
3食ご飯食べてる時点でアウトじゃん。
それに菓子まで食わせたら……
「若くて健康な人は皆、少食」↓
そもそも人間の胃ってそんな大きくない。
「糖質過多の食生活では脂肪は燃焼されない」↓
これはリアルにそう思う。
私も高校時代からダイエット的なことをしてたけど、
痩せたり太ったり。
「貧困層ほど太る」よく言われますね。
マクロビにしても基本「穀物中心」。
マクロビ系「ファスティング・ダイエット」では、
「甘酒にクズ湯入れて1日3杯飲む」とか。
子供の頃は確かに「ご飯に1汁1、2菜」だった。
でもそのスタイルはどうでもいい。
私の土台は「スタイル」じゃない。
猫マンマな「味噌汁かけご飯」が美味しくて
おかわりしてしてたことはあるけど、
それは「味噌汁」が美味しかったからで、
「ご飯」食べたさではなかった。
Mは逆の感覚。だから驚く。
そんなわけで「糖質過剰」に気づき、
「ブドウ糖システム」から「ケトン体システム」へ切り替え生活。
(眠気やダルさ、ウツがなくなった)
やっと体重がしっかり落ちてきて。
安定してるというか。
全ては「バランス」だけど、
(美はバランス、統合も陰陽のバランス)
そのバランスが分からないと、おかしさに気づかないんだよ。
和食は確かに、「1汁1・2菜」というバランスがあったし、
洋食だって、前菜・メインディッシュ云々とあるわけでしょ。
「バランス良く食べましょう」なんて言っても、
何がバランスなのか。
バランス感覚を持たず、好きなモノだけ食べてたら、
「食依存」で、どんどんバランスを欠いていく。
昔の日本人も、そんなに米を食べてたわけではない↓
生活パターンも今とはかなり違う。
糖質過剰はガンとも関係している、と↓
糖分はガン細胞の栄養だし。
「糖質制限食」には医学的な「明確なエビデンス」がある↓
「ケトーシス」起こすという反対派もいるが。
うちの父の「がん食レシピ」。
なかなか美味しそうなので、作ろうと思った。
つか、普段うちらが食べてるよーな…
↑美味しそうだったので、ひき肉なしで作ってみた↓
1回目は豆乳煮立ててしまって、ちょい失敗。
美味しかったけど。
父は「がん用ケトン食」を忠実に実践してるらしく、
「肉」も青森から取り寄せてたけど、
それはどーなの?やめたらいいのにって思うが、
肉止めるとかえって悪化する人もいるらしいしなぁ…
父は、ホルモン値が異常な「初期」という診断で、
「5年後に抗がん治療を始める」って、医者に脅されたらしい。
(何5年後って?イミフ。露骨な金儲け?何千万円も転がり込むガン治療)
言われるままホルモン剤打って、
5年後にガン治療始めたら終わりだと思ったが、
ホリスティックな治療に目覚めたのは良かった。
ガンのステージによって、炭水化物の量も変わる。
ステージが進むにつれ、糖質95%オフ。
根本的に見つめ直す必要があると思う。
冒頭の「卵を常備してる」と言う発言もそうだが、
自分の当たり前は、当たり前じゃない。
↓ホントに美味しいときはこう感じる。
中毒での「食いたい」「美味しい」と、
「体が喜ぶ」「細胞に染み渡り、活性化するよう」な感覚は違う。
その感覚に従い、いつも今自分が必要なものを選べればなあ。
Dr. 新谷弘実の「病気にならない生き方3」より。
いかに人は「無意識」に「習慣化したパターン」を
生きてるかということ。
「栄養素スコア」↓
栄養素高いものから低いものへ。
ポテチ最悪。
ポテチの害は、こないだ正式論文発表された。
例えオーガニックでも。
私、デザイン学校のイラストの卒制で、
こーゆー「半獣人」描いてた↓
コンセプトは「遺伝子操作動物関係のイベント」と、
「半獣人」が描きたかったばかりに適当にこじつけたんだけど、
あのイラストどうなったのか。
嫌で捨てたかもしんない。
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